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2014年にブランド創立20周年を迎えたNARS。
20周年を記念して作られたのが、NARS オーデイシャスリップスティックです。
文字通り、大胆な発色を誇ります。テクスチャーはスーパーマットながら、滑らか。
各色は、ブランドのディレクター、フランソワ・ナーズがその人生においてインスピレーションを受けた女性の名前がついています。
8回にわたり、全40色を彩るミューズ(あくまでも私個人の推測)を取り上げました。前回から(予定では)3回「新色を出すなら、是非この女優をミューズに」という、「特別編」をお届けしています。なお、色は日本の伝統色に準えました。
今回はいよいよ最終回。ハリウッド黄金期の名女優達が登場します。
瑪瑙(めのう)色
Katharine =キャサリン・ヘプバーン
ハリウッド史上最高と謳われる名女優。
アカデミー主演女優賞を最多受賞。その回数、なんと4回。
他にも、カンヌ国際映画祭女優賞、ヴェネツィア国際映画祭女優賞、英国アカデミー主演女優賞を受賞(英国アカデミー賞は4回)。
アメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画スターベスト100」の女優部門1位。
神の寵愛を受けた女優といっても、過言ではないでしょう。
キャサリンは1907年、アメリカ・コネティカット州ハートフォードに生を受けました。
父は医師、母は女性参政権論者かつ産児制限運動に関わったというリベラルな家庭に育ちます。
自立した知的な女性として、アメリカ女性のロールモデルとなったキャサリン。その原点がここにあります。
大学で心理学を学び、一方で劇団に参加、1932年にジョージ・キューカー「愛の嗚咽」で映画デビューしました。
その後、1940年の同監督作品「フィラデルフィア物語」で、人気女優の仲間入りを果たします。
彼女を語る上で欠かせない存在が、俳優のスペンサー・トレイシーです。
1942年の「女性No.1」に始まり、1967年の「招かれざる客」に至るまで、共演作は9本を数えます。
トレイシーとは20年以上パートナー関係を持ちましたが、彼が妻帯者であり、宗教上の理由で離婚出来なかったことから、最後まで正式な夫婦とはなりませんでした。
1969年にスペンサーが逝去、その死を看取ったのはキャサリンでしたが、スペンサーの家族に遠慮して葬儀に出席することは叶いませんでした。
そして、2003年アメリカ・コネティカット州で96年の生涯を閉じました。
キャサリン・ヘプバーンの出演作で好きな映画は、デヴィッド・リーン「旅情」です。
中年の独身女性ジェーンがイタリアのヴェネツィアを訪れ、現地の男性レナートと恋に落ちますが、彼は既婚者でした。
私はデヴィッド・リーン監督が大好きですが、彼の作品は不倫をテーマにしたものがとても多いです。
レナートとの甘い時間を過ごし、別れるその時にジェーン=キャサリンが車窓からレナートへ手を振るシーンが一番印象に残っています。
手の振り方が実に優雅。綺麗に伸ばした指先に、育ちの良さを感じたものです。
長身で骨張った体格と顔立ちのキャサリンは、美人女優の雛形からは少し外れているタイプかもしれませんが、自立した、スタイルを持った女性の先駆者として、今後も人々から愛され続けることでしょう。
躑躅(つつじ)色
Elizabeth = エリザベス・テイラー
映画史上、いや人類史上最高の美女といえば、この女優の名が真っ先に挙げられるに違いありません。
エリザベス・テイラー。ハリウッド黄金期を支えた大女優です。
比類なき美貌。華麗なる恋愛および結婚遍歴。子役時代から培った秀でた演技力。これほど「映画スター」らしい女優も珍しいかもしれません。
若い方には、「マイケル・ジャクソンの親友」といえば通じるでしょうか。
アメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画スターベスト100」の女優部門7位。
エリザベス、通称リズは1932年、アメリカ人の両親の元にイギリス・ロンドンで生まれました。国籍はアメリカとイギリスの二重国籍を持っていました。なお、彼女の民族的背景は、凡そイングランド人です。
リズの母は女優でした。母はリズを映画スターにするべく、スパルタ教育を施します。
10歳で映画デビューし、翌年、MGMと契約、12歳を迎えた1944年にクラレンス・ブラウン「緑園の天使」で一躍子役スターとなりました。
1949年には、マーヴィン・ルロイ「若草物語」で四女のエイミーを演じました。
リズは子どもの頃から、あまりの美しさ故大人びており、実年齢より上に見られがちだったといいます。
子役から大人の女優への転身は大成功し、1951年のジョージ・スティーヴンス「陽のあたる場所」は彼女のキャリア上、重要な作品となりました。
その後は、1956年のジョージ・スティーヴンス「ジャイアンツ」、1957年のエドワード・ドミトリク「愛情の花咲く樹」、1958年のリチャード・ブルックス「熱いトタン屋根の猫」、1959年のジョセフ・L・マンキーウィッツ「去年の夏、突然に」(本作はキャサリン・ヘプバーン共演)と順調にキャリアを重ねます。
そして、1961年のダニエル・マン「バターフィールド8」と1966年のマイク・ニコルズ「バージニア・ウルフなんかこわくない」にて、アカデミー主演女優賞を受賞しました。
リズといえば、7人と8回の結婚を繰り返した華麗なる男性遍歴が有名です。
「クレオパトラ」で共演したイギリスの俳優リチャード・バートンとの2回の結婚は話題になりました。当時、ふたりとも既婚者でいわゆるダブル不倫の末、結ばれています。リズが生涯で最も愛した男性です。
また、「ジャイアンツ」で共演したロック・ハドソンがエイズ関連の病で亡くなったことから、エイズ基金を創設したり、フレグランスのプロデュースをしたりと様々な分野で活躍しました。
そんな精力的なリズでしたが、生涯様々な病に苦しみました。
そして、2011年アメリカ・ロサンゼルスの病院で4人の子ども達に看取られ、天国へ旅立ちました。享年79歳。
個人的には、「若草物語」のエイミー役が目に焼き付いています。身体は子どもなのに、顔が成熟した女性なのです!
映画評論家の故 淀川長治氏をして「会った女優の中で断トツ美しかったのがエリザベス・テイラー」と言わしめたリズ。
以前、グレース・ケリーと並んで飛行機のタラップを降りるリズの写真を見たことがあります。
グレースが「普通のブロンド女性」に見えました。あのクールビューティーのグレースが霞むほどの破壊力を持つ美貌。恐れ入りました。
ヴァイオレットの瞳を持つリズに合いそうな色は、このようなアザレアピンクかなと思いました。
紅色
Marilyn = マリリン・モンロー
エリザベス・テイラーに続き、非常にベタな人選が続きます。
好き嫌いを超えて、やはり、この女優抜きに映画を語ることは出来ないでしょう。
マリリン・モンロー。甘い声を持つ20世紀最大のセックスシンボルであり、アートの題材になったり、マドンナを始めとする多くのアーティストに影響を与えた女優です。
アメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画スターベスト100」の女優部門6位。
マリリンは1926年、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。
出生名は、ノーマ・ジーン・モーテンセンといい、ノルウェー系だと言われています。
両親はマリリンのお腹にいることが分かる前に離婚し、母に育てられますが、母が統合失調症を患ったため、養子として複数の家庭を転々とするなど、不幸な子ども時代を送りました。
1942年に最初の結婚をし、1945年に工場で働いていた頃、モデルとして見出されます。その後、地毛のブルネットをブロンドに染め、1946年にスクリーンテストを受け、「マリリン・モンロー」の芸名で映画デビューするも鳴かず飛ばず。同年に離婚します。
翌年も挑戦しますが、やはりパッとせず。
1951年頃からようやく運が向いてきます。ジョセフ・L・マンキーウィッツ「イヴの総て」で注目され、1953年ヘンリー・ハサウェイ「ナイアガラ」でかの有名なモンローウォークを披露。1953年ハワード・ホークス「紳士は金髪がお好き」、同年ジーン・ネグレスコ「百万長者と結婚する方法」(ローレン・バコールと共演)、そして、1955年、舞い上がるスカートを押さえる仕草が有名な、ジーン・ワイルダー「七年目の浮気」にて熱狂的な人気を獲得します。
1954年にプロ野球のスーパースターであるジョー・ディマジオと結婚し、新婚旅行で日本を訪れましたが、翌年に離婚。1956年に歳の離れた劇作家アーサー・ミラーと結婚しましたが、この結婚も長く続かず、1961年に離婚。オーバーラップする形で大統領のジョン・F・ケネディと関係を持ち、また、ジョンの弟であるロバート・ケネディとも関係を噂されるようになります。
また、この頃は精神状態が悪化し、精神病院へ入院したり、仕事をすっぽかしたりとトラブルが絶えませんでした。
1962年8月に自宅で全裸で死亡しているのところをメイドに発見されました。死因は「睡眠薬の大量服用による急性中毒」とされましたが、自殺なのか他殺なのかは未だにわかっていません。
享年36歳。あまりにも若すぎる死でした。
ビリー・ワイルダー作品のマリリンが好きです。大好きなラフマニノフとの出逢いは、「七年目の浮気」の中のピアノ協奏曲第ニ番でした。この映画を観なければ、ラフマニノフを聴くことはなかったでしょう。
1959年の「お熱いのがお好き」では、ジャック・レモンとトニー・カーティスという芸達者を相手に、堂々のコメディエンヌぶりを発揮。女の私も惚れてしまいそうなキュートな魅力が炸裂していました。
マリリン本人は、アクターズスクールで演技を学び、読書を好む知的な女性でした。
「夜寝る時に着ているものは?」との質問に「シャネルの5番よ」。当意即妙な答えに彼女の知性を感じます。
黄丹
Judy = ジュディ・ガーランド
女性エンターテイナーの先駆者といえば、この女優をおいて他にはいません。
1922年、アメリカ・ミネソタ州にて、ボードビリアンの父とピアニストの母との間に生まれたジュディ・ガーランドです。
彼女は、女優ライザ・ミネリの母でもあります。
アメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画スターベスト100」の女優部門8位。
1935年にMGMと契約し、1939年のヴィクター・フレミング「オズの魔法使」にて一躍脚光を浴びます。その後、1948年にチャールズ・ウォルターズ「イースターパレード」で、当時のミュージカルスターであるフレッド・アステアと共演するなど、MGMのミュージカル大作に次々と主演するなど大活躍しました。
その一方で、薬物中毒や乱れた性生活が仇となり、仕事に支障を来たすようになります。
遂に、1949年MGMを解雇され、翌年、二番目の夫である映画監督のヴィンセント・ミネリ(ライザ・ミネリの父)とも離婚。
この後は、スクリーンを離れ、卓越した歌唱力を武器にジャズ歌手として活動します。
コンサートを通じてジュディの歌唱力が改めて評価され、再び銀幕へ返り咲き、1954年のジョージ・キューカー「スタア誕生」にてアカデミー主演女優賞にノミネートされます。しかし、オスカー像はグレース・ケリーが手にし、ジュディは失意のあまり、自殺未遂を繰り返すようになりました。
再び、歌手活動と映画界を行き来するようになり、薬物中毒と神経症が悪化、1969年イギリス・ロンドンにて波乱の人生の幕を閉じました。原因は睡眠薬の過剰摂取と言われています。
享年47歳。
実は、私自身、ミュージカルはあまり得意ではありません。
しかし、「オズの魔法使」は子供心に面白いと思いました。
「虹の彼方に(Somewhere Over the Rainbow)」におけるジュディの傑出した歌唱力には度肝を抜かれたものです。とてもティーンエイジャーの声とは思えません。表現力は大人顔負けです。
とても有名な曲なので、皆さんもどこかで耳にしたことがある筈です。
アメリカはミュージカルの生まれ故郷であり、メッカでもありますが、女性ミュージカルスター、エンターテイナーでジュディを超える人は中々いないように思います。バーブラ・ストライサンドとジュディの娘のライザ・ミネリ位でしょうか。
ミュージカルや舞台に通じていないので、間違っていたらすみません。
彼女がもう少し長生きしていたら、アメリカのエンターテインメント界の重鎮として君臨していたかもしれませんね。
葡萄(ぶどう)色
Lauren = ローレン・バコール
「ザ・ルック(The look)」と呼ばれる上目遣いの挑発的な目線と低音のかすれ声が特徴的な女優、ローレン・バコール。
「男が惚れる男」の代表格である名優ハンフリー・ボガートの最後の妻としても有名です。アメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画スターベスト100」の女優部門20位。
ローレンは、1924年アメリカ・ニューヨークのブロンクスで生まれました。本名はベティ・ジョーン・パースクといい、両親共にユダヤ人です。
10代にモデルとしてのキャリアをスタート、ファッション誌「ハーパース・バザー」の表紙を飾った彼女の写真を目に留めたのが、巨匠ハワード・ホークスの妻でした。
ハワード・ホークスの監督作品「脱出」のスクリーンテストに合格し、ホークスから「ローレン」という芸名を贈られました。「バコール」はローレンの母の旧姓に由来します。
1944年のこの「脱出」で、ローレンは後の夫であるハンフリー・ボガート(通称ボギー)と共演し、翌年結婚。一男一女をもうけます。ふたりは25歳も年齢が離れていましたが、仲睦まじく、1957年にボギーが鬼籍に入るまで添い遂げました。
「脱出」にて一躍トップスターに躍り出たローレンは、その後も1946年のハワード・ホークス「三つ数えろ」や1948年のジョン・ヒューストン「キー・ラーゴ」ほか計4作品でボギーと共演し、男臭いハードボイルド/フィルムノワール(犯罪映画)の世界に新風を巻き起こしました。
1950年代は、1953年のジーン・ネグレスコ「百万長者と結婚する方法」でマリリン・モンローらと共演、コメディエンヌとしての才能を開花させます。
その後、舞台女優としても活躍するようになり、1970年の「アプローズ」と1981年の「女性No.1」にてトニー賞を受賞します。
映画・テレビ・舞台にコンスタントに出演を続け、2014年にニューヨークの自宅にて不帰の客となりました。享年89歳。
ローレンの「ザ・ルック」、よく見ると三白眼だったりするのですが、これがクール!
ハスキーな低音の声も素敵です。あの声は、実はヴォイストレーニングの賜物だとか。
ローレンは、非常に若くしてスターダムに上り詰めた女優ですが、様々なフィールドで実に多くの人と仕事をしており、2003年には、あのラース・フォン・トリアー監督作の「ドックヴィル」に出演しています。
この作品では意地悪な老婆を演じていますが、あの声がカッコ良くて、悪役??のひとりながら、立派な人物に見えてしまいました。いい声はそれだけで人を魅了するのですね。
フィルムノワールの女王ともいうべきローレンには、暗めの葡萄色が似合うかと思います。
さて、今回で「オーデイシャスリップスティック」関連の記事を終了します。
長い期間、駄文に辛抱強くお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
次は、パーソナルカラー関連、フレグランス関連、それとも、再びネーミングの由来をテーマにしようか悩んでおりますが、今後もどうぞよろしくお願いします。
ご希望あればお聞かせくださいませ。
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