コスメの話は一切出てきませんので、コスメのお話を期待している方は完全スルーでお願いします。
前回のブログでは「菊正宗」の歴史など
ご紹介させていただきました。
前回のブログ『「菊正宗」って何の会社?? 第1話』
その中で日本酒を造る環境が菊正宗が位置している
「灘五郷」というエリアに揃っていたというお話をいたしました。
この「灘五郷」という地域で酒造りが盛んになった理由は他にもあります。
菊正宗の蔵の位置を例にお話しします。
作った自分でもびっくりするぐらい簡易な位置図です。f(^_^;)
図の下側に“旧 海岸線”とあります。
これが灘五郷で酒造りが盛んになった理由の一つです。
江戸時代には当然ですがトラックもありませんし、電車もありません。
なので、造られた日本酒を大量に輸送する手段がありませんでした。
大量に輸送する方法は唯一
“船”
でした。江戸幕府は今の東京にありましたので、町として栄えた江戸の町では日本酒の需要も大きかったそうです。その江戸に日本酒を“船”で運ぶ環境がそろっていたのが「灘五郷」だったのです。
海岸線が直ぐ近くにあるので、樽に詰められたお酒を船に効率よく載せて運ぶことができました。
歴史の勉強で
『樽廻船』
という言葉を聞いたかたもいるかもしれませんが、まさにそれが日本酒を運んでいた船です。当時の江戸では菊正宗のお酒はとても人気があったそうです。
樽に入っているので江戸で飲まれていたお酒は杉(樽)の香りがついたお酒でした。
さて、位置図の右下に
①菊正宗酒造記念館
があります。菊正宗酒造記念館HPはこちら
菊正宗酒造記念館では酒造りに関する道具などがたくさん展示されています。
もし神戸にいらっしゃった際には、立ち寄ってみてください。
菊正宗のことがもっと分かります。日本酒の試飲もできます(*´ω`*)
やっぱりコスメのお話0(ゼロ)でした。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回第3話をお楽しみに。
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