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秋の、おでかけ3

秋の、おでかけ3

さて無事下山(何)、ふたたび谷町筋に戻ってきたで。
こんな街なかに山、そして古墳があったということは、この地の歴史は相当古い。次は、その象徴とも言うべきものを見に行くやで。


さっきの山頂からはわずか10分、谷町筋からちょっとだけ東に入るとすぐ見える。鳥居があるけど、これ、神社やない。

大日本仏法最初。日本初の仏教建築である四天王寺。天王寺という地名はここが由来なんや。
推古天皇の時代、聖徳太子によって建立された、というあたりは歴史の授業で習ったとおり。


鳥居をくぐるといきなりこんな石が。なんか、じゃりン子チエのアントニオのキン○タマみたいやないか、日の丸弁当みたいにしやがって(何)
これは引導石ていうて、葬送のときにこの石の前に棺を置いて鐘を鳴らすと極楽浄土へと導かれるというものだそうで、そこから「引導を渡す」ということばができたそうや。
あんたが鐘鳴らすと地獄に落とされるわ(何:和田アキ子)


仏教の始まりの地だけに、多くの高名な僧がここで修行したんやろか、親鸞もそのうちのひとり。

それじゃ西大門をくぐって中に。


南から中門、塔、金堂、講堂と一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置。いうてみれば部屋の間取りみたいなもんで、いちばんシンプルなかたち。


五重塔と金堂。密になるため塔は封鎖されてるけど、金堂と講堂は内部に入れる。仏像のほか、金堂には釈迦の生涯、講堂には玄奘(三蔵法師)の生涯に関する壁画が見どころ。

講堂の裏には、武踊や雅楽を奉納する儀式が行われてた石舞台。入ってきた鳥居とともに、重要文化財に指定されてる。


ただ、建立された最初の経緯は単に仏教の普及のためにというわけでもないらしい。
当時は日本古来の宗教を支持する物部氏と、大陸から伝来した仏教を支持する蘇我氏の権力闘争があった時期で、蘇我氏側についた聖徳太子が戦勝祈願のために四天王の像を作って、この戦に勝ったら像を安置する寺を作ってやるという誓いを立てたという。
結果として戦に勝って念願はかなったわけやけど、よくある戦争映画の「これ終わったら結婚するんすよ」みたいなノリなんよね、結果が違ってたら完全な負けフラグや(何)


四天王寺は数ある仏教宗派のなかでも天台宗にながらく属してたものの、戦後、日本仏教の祖である聖徳太子建立の寺として特定の宗派にこだわらない立場を取ることになる。

たしか¥10000札が諭吉に変わるぐらいのとき、もし¥100000札ができたら誰の顔がいいかという問いに、多くの人が聖徳太子を挙げてたそうで、やはり日本の歴史上の人物のなかでも、聖徳太子は特別な存在と認識されてると考えて間違いないやろう。


ちなみに、
谷町筋の下を走る大阪メトロ谷町線のラインカラーが紫なのは、沿線に官庁や寺院が多いということ、そしてなにより、冠位十二階における最高位を示す色であることが由来なんや。



ほな、ここはこのへんで。
おっと、飛び出し注意。

頼むからワイの財布の中に¥10000札飛び込んできてくれへんかな(何)




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