
こんな街なかに山、そして古墳があったということは、この地の歴史は相当古い。次は、その象徴とも言うべきものを見に行くやで。


推古天皇の時代、聖徳太子によって建立された、というあたりは歴史の授業で習ったとおり。








ただ、建立された最初の経緯は単に仏教の普及のためにというわけでもないらしい。
当時は日本古来の宗教を支持する物部氏と、大陸から伝来した仏教を支持する蘇我氏の権力闘争があった時期で、蘇我氏側についた聖徳太子が戦勝祈願のために四天王の像を作って、この戦に勝ったら像を安置する寺を作ってやるという誓いを立てたという。
結果として戦に勝って念願はかなったわけやけど、よくある戦争映画の「これ終わったら結婚するんすよ」みたいなノリなんよね、結果が違ってたら完全な負けフラグや(何)
四天王寺は数ある仏教宗派のなかでも天台宗にながらく属してたものの、戦後、日本仏教の祖である聖徳太子建立の寺として特定の宗派にこだわらない立場を取ることになる。

ちなみに、

ほな、ここはこのへんで。
おっと、飛び出し注意。

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