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スポーツを指導するということ。

スポーツを指導するということ。

私は、運動部に所属したことがない。小学生の時に習い事として、水泳とテニスにかかわったことはあるが、あくまでも習い事としてです。ようするに“運動部の監督”を体感したことがないので、「監督とはこういうものだ」というある種の監督論であるとか、親族でもない他人から、「言葉では伝えきれない思い」とやらを手を挙げられることで、教えてもらったという経験がない。休日に公立小学校の横を通ると、時折、地元の少年野球のチームが、地域のお父さん監督のもと、練習している風景を見かけることができます。背丈から、彼らは小学生ぐらいでしょうか?熱心な指導から、語気が強まる場面もあるようです。さて。ふと、昨年のオリンピックの記憶がよみがえってきました。出場者のほとんどが成人であるオリンピック。今までの鍛錬の成果がうかがえる、積極的で感動的なプレーの数々を見ると理屈ではなく、こちらまで胸が高鳴るものです。このような大人の出場者が、オリンピックの舞台に立つまでには、大人の監督、コーチに、手を挙げられて指導されることはあるのでしょうか?私は、子育てをしたことがないのですが、子供に危険を認識させる目的で、禁止されていることや社会のルールでしてはいけないことを犯した時に叩いてしつけることは、場合によっては必要だと思います。たとえば、「故意に火遊びをしたり、危険立ち入り禁止で遊んだ場合に叩いてしつける」などです。仮に、成人が成人にスポーツ指導する際は、手をあげない、と小中高生に手を挙げて、スポーツ指導をする人がいるの二つが成り立つとしたら、その指導者は、指導する相手が成人であったら、手をあげないとなるでしょう。もしそうだとしたら、個人的には、「大人に対してしないことを、子供にしていいわけがない」と思ってしまうのですがね。いまいち、“体育会系(?)”の方々とは、関わり合いがないので、よくわかりませんなぁ。元運動部の高校3年生が、会見を開き、手をあげられることにある種の肯定の意見を述べていました。この問題については、私は、否定でも肯定でもなく、手をあげられることを肯定している人がいることが理解できていないんだろうなとおもいます。私だったら、他人に何十発も殴られたら、殴られた経緯にかかわらず、なぜ、殴られなきゃいけないんだよ、と、理屈抜きにぱっと思ってしまうけどなぁ。こういうことを言うと、根性がないとか、「これだからゆとりは」とか言われちゃうのかなぁ。理解できないものは理解できないですよ。

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