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その日、彼女は上司に怒鳴られた。大口の取引先で案件を一蹴され、帰社したときのことだ。
「はぁ?お前、あそこ取れなかったらうちの会社どうなるかわかってんの?なんで帰ってきてんだよ!」
「すみません。」表向き平身低頭しつつ、心の中で舌打ちする。
(そんな大事ならてめぇで取ってこいや。それにあたしは「お前」じゃねぇし。)
上司は「大体お前はさ」とねちねち小言を続けた。彼女は周囲の冷笑をうなじのあたりに感じて、次第に体がこわばるのを感じた。バンッ!上司が机を叩いた。
瞬間、心が硬い殻に覆われた。そのとき彼女はサナギになった。
会社を出たのは真夜中。気付いたら駅を出てネカフェの前に立っていた。今夜は部屋に帰れない。ここに籠って、明日朝イチで件の取引先に再特攻をかけるしかない。てゆーか、そうしろと言われた。
完全鍵付き個室が1室だけ空いてて神に感謝した。クタったパンプスを脱いでスーツを壁にかけたら、一畳ほどの空間が自分専用シェルターになった。手早くドリンクを調達し、食べたい物をオーダーした。返す刀でPCメールを起動。予想どおり先輩から雑事の催促メールが来ていた。メンタルやられてんの知ってるくせに遠慮ない。てか、むしろ涼しい敬語で上乗せしてくる。それが社畜の常道だ。即返しないと後が怖いのでピザかじりながらレスした。それを終えた時、今日初めて力が抜けた。腰がずり落ち、首とまぶたが船をこぎ始めた。ヤバい。寝落ち寸前。でもまだ終わりたくない。何もいいことがないまま、今日を終えたくない。そうだ。
バッグから1本の香水を取り出した。銀の試験管型ボトルに金のチャームが揺れる。ネットで最新香水を探して見つけたピュアディスタンスのパピリオ。「蝶」という名の香水。きっかけは「パピリオのうた」という詩だ。「自分を抱きしめて」とか「飛べ」とかメンヘラ女的にスルー言葉が並んでたけど、とあるフレーズが厨二心にぶっ刺さった。
「世界を牢獄のように感じるとき 生き地獄のようなとき その傷だらけの羽を広げ 機能不全のカルーセルから飛び去れ」
ああほんと、社畜は牢獄、生き地獄だよ。こんなんで飛べるわけないじゃん。無理だよ無理。でも…
「機能不全のカルーセル」って、なんかいい!カルーセルってぐるぐる回る終わらない円環だよね。あれだ。ハムスターが走り続ける回転車。あれ絶対ゴールできないのに、ずっと輪っかの中を走り続けてさ。バカだよな。…って、今のあたし同じじゃん…。
そう思ったら急に苦しくなった。そして気付いたらポチっていた。
真夜中の狭い個室。PCモニターが深海探査艇ののぞき窓のようにぼうっと青く浮かび上がっている。その絶対的孤独の中で手首にパピリオをプッシュした。瞬間、まばゆい金色の粒子がはじけて、室内の空気が柔らかくなった。すかさず手首に鼻を押しつけた。
はぁ… たまんねぇ。 思わずオヤジみたいな声が漏れた。何かキメてぶっ飛んでるヤツみたいに、口が半開きになった。
ふわりと宙に舞い上がるベルガモットの酸味。そこにヘリオトロープがシンクロしてパウダリーをまき散らす。そのアップダウンは確かに蝶の羽ばたき。明滅する色とりどりの香料が、蝶が拡散する鱗粉に思えるトップ。
「これマジやべぇ…」言いながら、空中にシュッ、シュッとパピリオをスプレーし、芳醇な香りのシャワーを頭からたっぷり浴びた。パピリオのフルーティーなミストが、髪と顔とブラウスに降り注ぐ。それは心を覆った固いサナギの殻を溶かした。やがてパピリオは、ほの甘いマグノリアを奏ではじめ、軽やかなレザー香を纏って、さらなる進化をうながしてゆく。いつしか眠りの世界に誘われ、夢を見た。
人がごった返す遊園地。彼女は6才で、背中にピンクの蝶の羽がついたドレスを着て空を飛んでいた。だが次の瞬間、地に落ちた。視界から全ての人が消えた。慌てて周囲を見回した彼女は今のアラサーに戻っていた。ただ背中のピンクの羽だけは小さいままで、何度羽ばたいてももう飛べなかった。怖くて走り続けた。でも必ず元の場所に戻ってしまう。グルグルの堂々巡り…。そこで目覚めた。
個室の中にはパピリオの柔らかなラストが流れていた。優しくて懐かしいパウダリームスクの香りがした。眼前のモニターに寝ぐせ頭の女が映っている。それを見たら少し笑えて、ぽろぽろ涙がこぼれた。
今日、上司に怒鳴られた。でももういい。どんなにやられても「今日も死なない!」って行くしかない。何度も固いサナギになって、いつかはパピリオになってやる。この機能不全の社畜カルーセルを抜けて、ドヤ顔で世界を飛び回るために。
だから今は眠ろう。ここは社畜のコクーン。夢見る繭。見るは儚い胡蝶の夢。
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